続けるだけ

懐かしい人達から立て続けに連絡がきて、連絡がくる前は会えるかなとも思っていたんだけど、実際はうれしさだけじゃなくてどうしてこんな気持ちになるのかとまた自分を責めてしまっていたみたい。以前のような状態に戻ってしまったのかという考えが巡って、解放も気が散ってうまくできなかった。今日こそはと思い集中して取り組んだら責めていたことにようやく気づき、悲しみと苦しさがふわっと落ちて軽くなりました。アップダウンを繰り返しながら進んでいく、でも後退はしていないという言葉を信じて続けます。

デスク周りが快適に

新しい上司と二人で担当している仕事のファイルや謎の書類が、ロッカーにいっぱいになっていることが気になっていた。収まりきらず、背表紙が見えない状態で横に重ねるしかないから見つけにくいし取り出しにくい。でも私一人の判断で片づけることはできず悶々としていたら、職場の取り決めで全部署の強制的片づけが決まった。おかげでロッカーは2段も空きができ、更に自分のデスク付近の物も減った。拭き掃除もしやすい、どこに何があるか一目瞭然、小さいことだけど快適さがうれしい♪

焦らない

どんな感情も認めていいんだって思えたら、久しぶりに会った彼との時間をすごくリラックスして楽しく過ごせた。待ち合わせ場所までの電車の中でも自然に解放できて、電車という苦手な空間もいつもより嫌ではなくなっていた。相変わらず彼は穏やかで優しい…問題は私の心、あと少しのような気がするんだけど、焦らず許すことにした。

春頃、彼とのことでもやもやしている時に別の男性にアプローチを受けた。解放すると直感が働くのか、その男性の本性であろう部分を知ることができ良いタイミングで合わないと気づくことができた。思考だけに頼らず解放して良かった。

ふわっとした感じ

浮かんできた感情をノートに書いてリリース→観念発見→認めて受け入れて新しいアファメーション→心地よさに浸る。というのが一つの流れになってきています。本でいうところの「目標設定」を自然としている感じ。

職場に関する解放を続けたところ、懸念していた仕事がスムーズに終わったり、上司の評価や職場独特の言葉の荒さも気にならなくなってきました。自分を不安にさせたり必要以上に追い込むこともなくなり、仕事の合間にふわ~っと快適さを感じるようになりました。

不思議な一体感

お風呂に入っている時にふと、内面ってなんだろうと思った。思いや意識は確かに私の心の辺りにあるけれど、対象に馳せることもできる。本当は内も外も無いんじゃないかと思った。目に見える世界も目に見えない意識も、他者も私も、物質も私も。それは心地よい一体感だった。そんなことを考えながらシャワーをひねったら、温度がなかなか上がらずその冷たさに苛々した。するとさっきまでの一体感が消えた。今すぐ水をお湯に変えたいのにできない苛々。何かを変えたい、思い通りにしたい気持ちが分離の感覚を生むのかもしれない。なんて、寝よう…

容姿について

容姿を変えたい気持ちがとても強い。いや、強かった、かな?解放を試みてもうまくいかず、気に入らない部分についてこだわること、人と比較し落ち込むことがやめられず、ずっと苦しかった。今日、ノートに書きながらまた自分にいろいろ問いかけてみたら「容姿が優れた人間だけが価値がある」「なぜなら美しいものには価値があるから」「そして私にはそれが欠けている」なんていう観念が出てきた。それらの観念を認めた後、次のような新しい言葉を作ってみた。

「顔や体の造形だけが人間の美しさではない」「全てのものに価値がある(なぜなら美しさとは一つの主観に過ぎない)」「どのように自分を判断しようとも、認めて受け入れて良い」(これらが正しいかはさておき、そしてすぐには信じられなくてもいいとしたうえで自分に話しかけてみた)

またしても温かい気持ちになった。肩の荷が下りて涙が出てきた。何がきっかけかは分からないけれど、いつの頃からか美しさというものを重要視するようになり、美しいと思わなければ(そして他人にも思われなければ)、そのために外見を変えなければと自分を追い詰めていたらしい。やはりここでも、私が一番欲しかったのは「認めて受け入れている状態」だったみたい。最近素直に答えが返ってくる。

全ては内面

気分が悪い時にふと、もし理想的な暮らしが叶ったとしてもこういう気分になる時はいくらでもあるだろう、そしてそういう気持ちでいる時に理想的な暮らしを心から喜んだり楽しむことはできないだろうなと思った。ということはつまり、「これが叶えば幸せになるのに(=自分に満足できるのに)なあ」と考える願いと、私が幸せを感じることは別物ではないかと気づいた。それで、「今の(叶っていない)自分を認めてよいか、受け入れてよいか」といろいろ自分に問いかけてみたら、すごく楽になった。心の奥では、願いを叶えること、つまり変わることを強く求められて疲れていたみたい。今の自分を認めたら急に幸せが溢れてきた。私が本当に欲しかったのは、物質や他人の愛ではなく「自分を認め受け入れている状態」だったんだ。それを「願いが叶ったら」という条件づけをして先延ばしにしていた。でもそうやって受け入れることを先延ばしにしていたから、受け入れたくないような現実になっていたんだと思う。なーんだ、今、幸せを感じていいのね。