Asleep on a sunbeam

内面=世界なんだって

近況 精神世界で学んだことは実生活に生かすこと

久しぶりに書きます。

先日ちょうど語学3ヶ月目を迎えました。が、実を言うと、ラジオを中心に勉強は続けているもののそのペースはぐっと落ちています。

というのも、WordPressに手を出してしまったからであります。もっと自分を出せるブログを作ろうと思い立ち、せっかくならとほとんど知識を持ち合わせないままにWordPressを始めてしまいました。結果、勉強時間は少なくなりましたが、これは一時的なものと捉えています。基盤ができたら、元に戻るつもりです。

サイト作りは今も試行錯誤しているところですが、自分で調べながらやってみるのがとても楽しいです。しかし開設して数週間になるのですが、いまだにサイトタイトルと自分の名前が決められません。誰に強制されたわけでもないが少し気負い過ぎているのでしょうか?ともあれとにかく記事だけはあまり日を空けずに書くようにしています。

普段から本を読むことが好きで活字に触れている意識はありましたが、自分の言葉で書こうとするととても悩みます。でもこれもよい訓練。きっと慣れると思って取り組んでいます。

自分に向き合った結果でしょうか、興味のあることが次から次へと出てきて無職なのに時間が足りないと感じます。その無職もそろそろ終わりを告げそうです。少し寂しいような。

現在の勉強状況

誕生日の決意から一ヶ月が過ぎたので、現在の勉強状況を記しておきます。

まずは英語から。当初の勉強計画は、単語と文法とラジオ講座と「なるほどフレーズ100」。ラジオはラジオ英会話のテキストを購入し予習して聴いてみました。実行してみて、これらを毎日続けるのは時間的にも精神的にも難しい!と思いました。

現在はなるほどフレーズ100(2周目)とNHKラジオ講座のみやっています。ラジオ講座はテキストを買わず、タイムトライアル→基礎英語1→2→ラジオ英会話の順で、ストリーミングを一週間で聴けるところまで聴こうという感じです。掃除や運動をしながらのながら聴きだけど、気になったものは手帳に書いておきます。ちなみにラジオ英会話はテキスト無しだと今の私には発音が厳しいです…

フランス語の勉強計画は、単語と文法(既に2周済み)とラジオ講座でした。こちらも単語までやる集中力がない!そして文法は実際の会話や文章で触れた方がいいかもしれないと思い削ることにしました。で、ラジオ+ネイティブの先生が作っている某サイトで勉強しています。テキストを見ないで聴く→見て聴く→問題を解く→知らない単語や使えそうな表現を書いておく→色々声に出して読むという感じです。サイトは全てフランス語なので初めて見た時はぎょっとしたけど慣れました。

英語もフランス語も文法のテキストは過去に一通りやっているので、今後は参照しながら覚えていこうと思っています。単語もまずは会話や文章の中で出会ったものを覚えていく形でやってみます。

 

「マーフィー 眠りながら巨富を得る」

心の探求よりもっと“現実的な”行動をすべきなんじゃないかと不安になったこともあるけど、続けてきて本当に良かった!この自己肯定感。小さい頃のわくわくする気持ちと謎の新鮮さがあります。

探求という意味では一旦終わりですが、内面に意識を向けることはこの先どういう環境に身を置こうが続けていこうと思っています。というかそれを在り方としたいです。そんなわけで実践あるのみ、新しい知識を増やす必要はもうないと思っているけど、敢えて本を読み返しています。

マーフィー 眠りながら巨富を得る―あなたをどんどん豊かにする「お金と心の法則」 (知的生きかた文庫)

マーフィー 眠りながら巨富を得る―あなたをどんどん豊かにする「お金と心の法則」 (知的生きかた文庫)

 

自分の欲を叶えること、特にお金に関してはAmazon内のレビューにもあるように「強欲になってしまうのではないか」という恐れを抱いてしまいます。私も悟りへ関心が向いた時はそんな風に考えていました。でも改めて本を読んだら、むしろとても優しさの溢れる本であると感じました。マーフィーは、願いを叶える力は全ての人に存在していること、現状に関係なく幸せになっていいということを伝えたかったんじゃないかと思います。欲望の否定こそエゴなのかもしれません。自己肯定感があれば、自分に必要な物やその限度は自ずと分かると思うから。マーフィーの説く神は宗教的なものではなく全ての人に共通している意識で、否定的な感情や思考によって見えなくなってしまうけど、望みをイメージすることによってそれに気づきなさいってことじゃないかな。謙虚に生きるってもしかしてこういうことなのかな?とちょっと思います。

 

英会話なるほどフレーズ100(1周目)

頭の中の雑音が減ったためかやりたいことが色々と出てきて忙しくなりつつあります。

今日は買って良かった英語の本を記しておきます。

CD付 ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100 (スティーブ・ソレイシィの英会話シリーズ)

CD付 ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100 (スティーブ・ソレイシィの英会話シリーズ)

 

7月のフランス旅行中、道に迷っていたら、ヨーロッパを旅しているというスイス人の男性が声をかけてくれました。駅まで案内してくれた上に私が行きたい場所について駅員に色々聞いてくれて、切符を買うところまで付き添ってくれました・・・一緒に歩きながら彼はたくさん質問してくれたのにフランス語はおろか英語でもまともに答えられないことにもどかしさを感じ、ただただ話せるようになりたいと思いました。

それで誕生日の決意()を機にこのテキストを始めました。出てくるのは当然のように知っている簡単な英単語なのに使えない言えない!でも先に進むにつれて、普段の生活の中で英語での表現がぽんと浮かんできたり、今のはなんて言うんだろ?って考えることが増えました。これに気を良くし、とにかく聴いて口に出してみることだという考えに至り、NHKラジオ講座をいろいろ聴いています。(なかでも英会話タイムトライアルはこの著者が講師なのでやる気が出る笑。)もちろん英単語と文法も並行して勉強していますが、一日の時間と私の脳に限りがあるので比重の置き方を模索中です。

はー あの優しいスイス人さんと地球上のどこかで会ってあの時の感謝を伝えられますように!笑

こういうのフランス語でもあるのかな、あればうれしいな・・・

心の使い方を学ぶこと

4日前の日記にもう何もしなくていいんじゃないかと書いた後、心の中にもやもやしたものがやってきました。これで終わりと思ってもまだ出てくるんだね…でもそのおかげで過去の記憶に対して新たな視点で見られるようになりました。決して無理に思考をポジティブに持っていこうとする必要はありません。内面と向き合うことに慣れてくると「これはこうだ」と決めつけていた思考と自分との間に空間ができ、そこにポッと新たな認識が生まれるのです。それは以前の思考より優しく温かいもの、なぜなら私の内面が変化してきたからだよって言ってもいいかな、まだ言い切る自信はないかな…でも少しでも心が軽くなる考え方を選択すること、その重要性を切に感じています。

最近は語学の勉強に集中できているのですが、ふと小さい頃からそれが好きだったことを思い出しました。好きだという割には10年いやそれ以上?だいぶブランクがあるけど!でもこの年齢で始めても意味がない、これが何になるの…という考えが浮かばなくなりました。それと同時に自分が望むものを改めて認識できました。

というのもこの夏、数年前に付き合っていた人と再会し、懐かしさや様々な思いが募り更には別れ際の彼の言葉に揺らいでしまい、しばらく自分の望みと感情がよく分からなくなっていました。でも何かと障害があったり物事がスムーズに進まなかったりして、そのうちに冷静さを取り戻すことができました;今はこれで良かったと思っています。

でも彼と再び交流が始まったことは私の願っていたことでした。そして彼と再会したことで、一時はもう会えないと思っていた人達とも会うことができました。病気で亡くなってしまった人もいたけど、皆あたたかく迎えてくれました。叶っていないことに目を向けてしまいがちだけど、ちゃんと思いどおりになっていたんだなあ。

なんの根拠もないのにくっつけて結果的に根拠にしていました

先日の誕生日に何かを始めようと思って、フランス語と英語のNHKラジオ講座を聴くことにしました。英語はまだ(何にするかも決めていない…)ですが、フランス語については応用編を辞書無しでだいたい読むことができ、あと少しで今月分の予習が終わりそうです。続くかどうかはさておき・・・

と言いながら継続は力なりを実感する日々です。現実がニュートラルだと分かったので、それに色をつけて見ている自分に気づいて、自動的に生じる“いつもの解釈”をやめます。これまで一人になれる空間で、思考やそれに伴う感情を意識を集中させて手放すことを試みてきたけど、もうなんか全部関係ないって、そんな気になりました。どこにいても誰といても不要な関連づけをばしばし遮断していくだけ。内面は現実(という過去の内面の反映)に影響を受ける必要はないから、徹底的にやめるだけです。そこには何が残るかというと、自由な内面という幸せが広がります。それが新しい現実をつくるのだと思います。

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気づくまでが自作自演だったりして

真実だと思うものほどその真偽を疑ってみるといいかもしれないと思いました。

あることが引き金となって、以前から感じていた「私は孤独な人間だ」という思いが強くなっていました。でもそれは小さい頃からの真実で、私という人間が生きている限り変わらないものだという気がしていました。この感覚はとても深く、外面的に幸せであるはずの時でさえ、みぞおち辺りを締めつける痛みを感じることがよくありました。

エゴは“私の物語”を語りたがります。だって学生の頃クラスに溶け込めなかったし、友達も少ないし、好きだった人に振られたし、そして今独り身だし。と数々の証拠を語るその声を聞きます。そして痛みを感じてみます。これは真実だ、ゆるぎない現実だ。それでもしばらくとどまって痛みや声を迎え入れてみると消えていきました。

「私は孤独な人間だ」という認識を持っていたから、現実に起きることをそれと関連付けて解釈していただけで、本当は現実ってニュートラルなものだと思いました。世界が透明感を増し、幻想を見破ること、真実を知ることのできた喜びが溢れました。私は一人で過ごす時間が好きだし、もちろん孤独を悪いことだとは思っていません。でも自分の認識にどこか苦しいものを感じるのなら、それは手放せるのかもしれません。